軍隊の町 神明
三十六連隊の駐屯
1896(明治29)年、神明村に陸軍鯖江歩兵第三十六連隊が設置されました。当時のロシアの東方政策(南下政策)に対抗して陸軍の師団が増設されたことによるものであり、三十六連隊は日本陸軍でも有数の強さを誇っていたそうです。
明治初期、軍隊が置かれる以前の神明地区は、集落の中心となる神明神社の西側がほとんど手付かずの状態となっていました。三十六連隊の兵営は、神明神社の西側を中心に、広大な敷地(東西310m,南北510m,面積16万m2)をもって置かれました。この際、神明神社の一部の土地も陸軍に接収されています。兵営前には商店街が形成され、神明村は兵営の町として栄えました。
兵営には、連隊本部と6棟の兵舎のほか、演習場や弾薬庫,衛戍(えいじゅ)病院(のち鯖江陸軍病院と改称)といった各種の関連施設が置かれていました。(下図)
福井鉄道と兵営
1924(大正13)年には、福武電気鉄道兵営駅(現:福井鉄道神明駅)が敷設され、駅前に商店街が形成されました。線路の西側に駅舎がある現在とは異なり,駅東側が当時の駅前でした。福武電鉄は、国鉄から離れて立地していた兵営から福井・武生への人員輸送を目的として敷設されたもので、入除隊や出征時に兵隊を送ったり、商人を運んだりする輸送機関として利用されました。兵営駅は、太平洋戦争中の1939(昭和14年)、防諜目的のため中央駅と改められています(路線のほぼ中央に位置することから)。戦後の1946(昭和21)年に現在の神明駅に改称されました。
なお福井鉄道神明駅の駅舎は、当時の国道8号線(現:県道福井鯖江線)の開通に伴って、1958(昭和33)年に現在の西側へ移されました。旧駅の遺構は現在も残されており、神明駅の乗り場のうち、東側と真ん中は開業当時からのものです。東側の乗り場は、かつての駅舎があった場所に当たります。
戦後の神明地区
1945(昭和20)年の太平洋戦争終結後、三十六連隊は廃止となりました。兵営が置かれていた広大な跡地には現在、公立病院や住宅地、眼鏡枠工場などが立地しています。このうち、兵営にあった鯖江陸軍病院は終戦後(昭和20年)に民間に開放され国立鯖江病院となり,2000(平成12)年2月より公立丹南病院となりました。
三十六連隊の当時の面影を残すものとしては、「 三六町(さんろくちょう)」という町名と、移築されたレンガ製の兵営営門など、わずかなものとなっています。