工場見学旅行編 3日目 (2/4)

< 霧島神宮 >

霧島神宮 本殿

 国分市を後にし,一行は再び霧島方面へ向かい,高千穂 にある 霧島神宮 を訪れた。 この 霧島神宮ニニギノミコト を祭神として祭る神社で,6世紀初頭から霧島山にあったという。 しかし,霧島山の噴火によって一度焼失,その後,現在地に再建された。 現在在る本殿は,1715年に,当時の薩摩藩主,島津吉貴が寄進したものである。

 神宮境内には 「 君が代 」 に詠われている 「 さざれ石 」 や,四角い胴をした竹 などが見られた。 奥にある本殿は,訪れた当時では修復工事中であったが,それでも歴史の重みを感じさせる,立派な建物だった。 神社は大小様々なものが全国各地に,それこそ数え切れないほど存在するが,それらは元々,その土地の豊作,または無病息災といった人々の 「 願い 」 を,土地の神様に祈る為に在るのだと思う。 その年その年,またはある一事のことに関して,人々が 「 神 」 という存在に 「 願う 」,「 祈る 」 ことで,これからの人生のひとつの支え,または何かを決心するきっかけになり,結果,その人の人生を変える,場合によっては好転することにつながるのだと思う。 そこに,すべての宗教が持つだろう, 「 人の心のよりどころとなる 」 という性格を感じた。

 近年において,日本では宗教がらみの事件が多発したり,または海外ではパレスチナ問題や米テロなど,宗教に関する事件,戦争が頻発していて,「 宗教 」 が悪いものだと思われかねない時代になっている。 宗教に関する対立は,歴史においても多く出てくる。 しかし,三大宗教など伝統的な宗教は,元々はすべて 「 人々を苦しみから救う 」「 人々の心のよりどころとなる 」 というところから生まれてきたと思う。 新興宗教になると少し理解しがたいところがあるが,少なくとも,世界で幅広く信仰されている伝統宗教においては,その考え方は起源の時点ではほぼ一致していると思う。 それぞれの宗教がいっしょになることは,不可能なまでに難しいことである。 だが,宗教の本来の意味を理解し,少しでも対立をなくすことは,人々が平穏な生活を送るためにも大切であると思う。 なにはともあれ,宗教について少し考えさせられた。


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最終更新日: 2002/07/20